新国立競技場問題について思うこと

私も建築や都市に関わる端くれとして、私見を述べさせていただければ。
私は安藤忠雄が嫌いだけど、この件に関して安藤さんを責めるのはおかしいと思っている。審査委員長の安藤忠雄をはじめ、ノーマン・フォスターやリチャード・ロジャースなど世界的な建築家らからなる審査委員が「世界に発信する力」を決め手に選んだことは全く瑕疵はない。選定されたものの実現性とかコストとかに関して審査委員が責任を負わなければならなくなったら、誰も審査委員なんてやらなくなるし、コンペにふさわしい独創的な案は選ばれなくなる。それこそ組織事務所とかの手堅いだけで面白くもなんともない案が選ばれてしまう。
ザハの案は槇さんとかは文句言っているけど、審査委員が決め手とした「世界に発信する力」は十分あると思う。首都高やJRまでまたいじゃう、世界を驚かすぶっ飛んだデザイン。それを審査委員が評価した。なんら不思議はない。
ただ、それを創るのにはえらくお金がかかることがわかった。あれこれ削って、首都高やJRをまたぐのをやめ、のびやかなフォルムもやめ、、、、としていくうちに、「世界に発信する力」は失われた。でもキールアーチだけは残っているから、見た目は「平凡」になってしまった割にコストはあまり下がっていない。
審査委員が決め手とした要素が失われてしまった以上、いったん白紙に戻すしかないと思う。世界をみればコンペ1等案がボツになることなんていくらでもある。私はザハ案はいいと思うけど、今の中途半端な案ならやめたほうがいいと思っている。コスト下がってないし。私は個人的には、2等になったコックス・アーキテクチャーの案が一番好きだ。ゼロからやり直す時間はないから、選に漏れた案から拾えば良い。それがコンペに携わった人たちへの敬意でもある。槇さんたち外野の意見をいきなり取り入れるのもやりすぎだと思う。
問題は、審査委員が選んだ案を裏方がどう実現に向けて支援していくか。困難に直面したらそれをどう決断力を持ってハンドリングしていくか。それが今回は文科省でありJSCなんだろうけど、機能していない。コストが合わないなら、ザハ案破棄も含めた決断をしないと。安藤さんをスケープゴートにするのは間違っている。もうこの問題ははるか前に審査委員の手を離れている。