北野先生

熊本大学建築学科名誉教授の北野隆先生のこと。
英会話から帰ってきてテレビをつけたら、NHKにばーんと映っているではないか。「その時歴史が動いた」に。スタジオゲストではなくスポットで熊本城の解説をされていたようだったが、私がテレビをつけたの直後にそのインタビューは終わってしまった。再放送を見なくては。

その時歴史が動いた
第315回シリーズ秀吉の猛将2 豊臣家存続の秘策〜加藤清正 二条城会見〜
再放送日時:2008年2月25日 16:05-16:48 総合
熊本市茶臼山にそびえる熊本城。今から400年前にこの城を築いたのが、秀吉子飼いの武将だった加藤清正である。武勇・知略ともに優れた清正は、秀吉の天下統一を支え、26歳の若さで肥後半国の大名に抜擢された。秀吉の死後、清正は、自分を取り立ててくれた豊臣家に報いるために、秀吉の遺児・秀頼を守り抜くことに奔走する。関ヶ原の戦いでは、家康こそ秀頼の後見人にふさわしいと見込んで東軍につき、九州を縦横に駆けめぐって東軍の勝利に貢献した。しかしその後、家康は、天下への野心をむき出しにし、秀頼の勢力を削ぎにかかる。清正は、他の大名が家康に従う中で秀頼擁護の姿勢を貫こうとする。慶長16年、家康はついに十万の軍勢を率いて上洛、秀頼のいる大坂城に迫ってきた。この窮地に、清正はわずかな護衛を連れて、秀頼とともに二条城におもむき、家康との決死の会見に臨むのである。豊臣家存亡の危機を、清正はどう乗り越えたのか。秀頼をかくまう部屋や抜け道まで造られていたという熊本城の意外な構造を紹介しながら、徳川の世にあっても、時流に逆らい豊臣家への忠節を貫いた加藤清正の生涯に迫る。(NHK

北野先生は2年前に定年で退官されて名誉教授になられた。日本建築史が専門で熊本城や熊本の木造建築を主に研究されていた。私は研究室は違ったけど、設計や建築史の授業でお世話になった。設計の講評会で禁煙の製図室で堂々とタバコを吸いながら、私たちの設計作品に対して、
「その部屋に神は宿っているのかね!?」
「君のその階段は、北斗七星の方角に向かっているのかい?」
などと、仙人のようなことばかりおっしゃっていたが、素顔は人間味があって本当にお茶目なおじいちゃん。いわゆる名物教授だ。私はけっこう好きだった。研究室は違うのに私に会う度にいろいろ声を掛けてくれた。研究の細かい話や、設計の細かい話とかは、さっきのようにぶっ飛んだことばかりおっしゃるのであまり相談に行かなかったが、人生観というか、たまーに一生忘れないような深い教訓を示唆してくれた。
定年されたのでお見掛けしなくなったが、テレビでの様子は変わりない感じだった。いつまでもお元気で。