偶然の学校

友人の映画評論家 中井圭くんが4月から始めたプライベートスクール「偶然の学校」。選抜された志ある受講生らに月に1回ほど、中井くんが選んだいろいろな業界で活躍する人たちがレクチャーやワークショップを開催する。そして第4回である今月の講師に私が指名された。依頼されたのは2月に中井くんと寿司を食べながら
テーマは「いけばな」。この学校の面白いのは講義開始まで講師もテーマも生徒たちに一切伏せられていること。生徒の意欲は相当高いらしく、それに応えるために私も秘密裏に一生懸命準備を進めてきた。そして今日が本番。
11時に開場、11時半に開始。中井くんの挨拶のあとに私が登場。誰がくるか、何をするかも告げられていないので、私が登場しても生徒に特段のリアクションはない。挨拶して、私が「今日はいけばなをやります。」と言った瞬間、ものすごいどよめき。掴みはまずまず。
構成は最初の1時間で「いけばなとは何か」と「いけばなの歴史」をレクチャー。この1ヶ月間、少しずつ準備してきたスライドを披露。そしてお昼休みを挟んで、「線・面・マッス」のエレメントを用いて自由表現いけばなをやるというワークショップ。このワークショップでは材料も自分で調達する。
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昼休み明け、各自が調達してきた材料を使ってのいけ込み作業。みんな一生懸命。
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制限時間70分で作品完成。予想以上にバラエティに富んでいていい感じ。壮観な景色。
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そして各自が作品についてプレゼンし、私がコメントする。私が一貫した評価軸としたのは「素材と形」に正面から向き合っているか、何か別にコンセプトのようなものを設定して「素材や形」をそのコンセプトを表現する道具として使ってしまっていないか。
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左が私が1等をつけた作品。材料の裁き方が素人離れしていた。ニューサイランで器のエッジをうまく利用して円弧を描いたり、モンステラの葉を逆さにして水盤に押し付けるのを良しとしたあたり本当に素人と思えない。
右が生魚を買ってきた女の子。ただ置いただけではなく仰け反らせるなどなんらかの形態操作をしていれば入賞の可能性はあった。魚に命が吹き込まれていればよかったが明らかにそうなっていなかった。棺に花とともに安置された魚の死骸であった。ユニークな材料で他人に差をつけたところで満足してしまったのが惜しいが攻めの姿勢は評価したい。
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この2つも入賞を惜しくも逃した作品。左はシンプルで花器ともマッチしていて個人的には好きな作品。右は人形などが置かれておりガチャガチャしているが絶妙なバランスを誇っている。
プレゼンと講評のあと、私が軽くデモンストレーションをして17時半に終了。6時間のプログラムだったがあっという間だった。
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終了後は懇親会。この日は餃子パーティーだった。懇親会の最中も生徒さんからいろいろと質問を受ける。評価に納得いかないという若者もいてその前のめりの姿勢がすごく嬉しかった。彼にも説明したのだけど、この日のテーマはいけばなを通じた造形表現。潜在的な自分を造形に表出させることが目標なので、自己分析してしまっては自己分析というフィルターのかかった顕在的な自分しか表現されない。つまり自分のことなど考えずに素材と形に向き合った欲しかったのだ。結果としてそれが潜在的な自分の分身なのだから。。。ただ私もやや言葉足らずのところもあり少し反省。
それにしても、いけばなを通して「自分とは何か」という、私が事前に意図したテーマに議論が集中し収束したところが本当に嬉しかった。
22時頃に懇親会は終了し、さらにそのあと2軒目へ。2時半まで飲んだ。タクシーで帰宅。心地よい疲労感。