熊本の豪雨被害が心配

白川、22年ぶり越水 熊本市の小磧橋周辺など
県内を襲った集中豪雨で12日、熊本市などの各所で浸水被害が相次いだ。市中心部を流れる白川は1990年7月以来、22年ぶりに一部が氾濫。堤防を越えた濁流が市街地を襲った。市は白川流域を中心に2万6千世帯を超す住民に避難指示を出した。熊本市北区龍田では家に取り残された住民10人以上を、県警、自衛隊のヘリがそれぞれ救出。公民館に避難した龍田校区自治会役員の宮川駿さん(79)は「40人近くで避難していると、見る間に水が増えてきて、身動きができなくなった。死ぬかと思った」と顔を引きつらせた。白川は小磧橋、竜神橋、明午橋周辺の3カ所で越水。中央区井川淵町の明午橋上流では午前10時前に右岸を越えた濁流が住宅街や藤崎八旛宮参道などに流れ込んだ。碩台小の校舎2階にいち早く避難した斉藤伸春さん(79)、皓子さん(72)夫妻は「昨夜は雷がひどくて眠れなかった。白川の水位がここまで上がったのは(1953年の)6・26大水害以来。当時を思い出して怖くなった」と顔をこばらせた。臨時休校になった同区黒髪の桜山中では、準備していた生徒用の給食を避難者の昼食用に配った。子どもと避難した竹下エミさん(37)は「川の水が見たことがないほど増え、大型のコンテナなども流れていた」。西区蓮台寺の白坪小には、避難した住民が体育館に並べたパイプイスやござに座って不安な時を過ごした。高橋カズエさん(74)は「足腰が弱く、逃げ遅れるのが怖くて着の身着のままで家を出た」と不安げな表情。一方、同市北区植木町米塚では菊池川支流の合志川から水があふれ、民家や植木温泉の旅館が床上浸水。川沿いの旅館6軒は1階部分が水浸しになり、床はすべて泥で埋まった。大橋秀夫・植木温泉観光旅館組合長は「こんなことは初めて。一時は水があふれて旅館の前の道が見えなかった。被害が少なかった旅館から人を出して早く復旧したい」と肩を落としていた。(熊本日日新聞

私が大学時代を過ごした第二の故郷といえる熊本で、数日前から気象庁が「経験のない」と表現する大雨が襲っている。
上の地元新聞の記事にはローカルな地名がたくさん出ているが、白川というのは熊本の中心部を流れる一級河川で、白川が氾濫した「小磧橋」と「竜神橋」は私の母校の熊本大学のすぐ近くに架かる橋で私もしょっちゅう通行していた。中央区黒髪の桜山中というのは熊本大学のすぐ近くで私が学生時代に住んでいたアパートとは目と鼻の先だ。「藤崎八旛宮参道」も出ているが、藤崎八幡宮は熊本では由緒ある神社で、大学院時代はこの参道沿いのマンションに住んでいた。
このように私にとって所縁のある場所がたくさん被害に遭っておりとても心が痛い。一部の情報では母校の熊本大学も浸水寸前だとか。熊本にいる友人にメールしたが仕事もすべて休みになって自宅待機とのこと。家のベランダから見える今にも溢れそうな白川の写真を添付してくれた。とにかくみんな怪我の無いように祈るのみ。