サッカーのこと

私はかなりのサッカー馬鹿だ。
このブログ立ち上げのときから「soccer」というカテゴリーを設けていたが、あまりサッカーの話はしてこなかった。最近は、ワールドカップも近いということでちょこちょこ登場するようになったけど、今日は昔のことも振り返りながらちょっとサッカーの話をしようと思う。
私のサッカーの好みというか興味の所在とその思いを綴ると、、、
・最も尊敬するサッカー選手 : 都並敏史(元 日本代表DF、 現 東京ヴェルディ1969コーチ)
かつての日本代表の不動の左サイドバック。その激しいプレースタイルとは裏腹な気さくなキャラクターも魅力。1993年のW杯アメリカ大会・アジア最終予選に挑む日本代表メンバーにも選出されたものの、都並自身はJリーグの試合中に負傷した左足の具合が思わしくなく、満足なプレーがほとんど出来なかった。都並の穴を埋められなかった日本代表は、惜しくもW杯出場権を逃した。ドーハの悲劇である。長く日本代表を支え続けた彼が夢のW杯目前で思うようなプレーが出来ず、そのチャンスを逃してしまったのは本当に無念だったろうと思う。
・最も好きなクラブチーム : 横浜フリューゲルス
あんなドリームチームは2度と見られない。山口素弘三浦淳宏前園真聖反町康治モネールエドゥー、森敦彦。。。あのあまりに悲しいチーム消滅*1に本当に心を痛めたし、あの劇的な最期に歓喜し涙した思い出は忘れない。
・最も印象に残っているプレー
1997年のフランスW杯アジア最終予選第3戦、国立競技場で行われた韓国戦での山口素弘ループシュート
伝説のあのシーン、今でも鮮明に記憶している。なぜかスローモーションで。。。
・日本代表以外で好きなナショナルチーム : オランダ代表
昔から好き。
・好きな海外のクラブチーム : FCバルセロナ
昔はオランダ人ばかりでオランダ代表みたいだった。
・好きなサッカー解説者 : 松木安太郎
理屈じゃないところが好き。
・W杯で期待する日本代表選手 : 加地亮遠藤保仁高原直泰
がんばってくれ!
・W杯で心配な日本代表選手 : 川口能活・アレックス
川口は気合入りすぎると凡ミスする。アレックスはくだらないイエローをよくもらう。
・日本代表のこれからに思うこと
現日本代表は各年代の代表に選ばれ若いころから国際試合を多くこなしてきた、いわゆるゴールデンエイジ。このW杯が彼らの集大成となる。今回のW杯で日本はどこまで勝ち上がるかはわからない。願望は予選リーグ突破してほしいが、現実は難しい気もする。ただ、私が心配なのはW杯後。今の日本代表に、4年後に主力になっているであろう若手選手は巻誠一郎以外にいるだろうか?このゴールデンエイジの壁を谷間の世代といわれる若手の選手たちは最期まで破れなかったということだ。これは何を意味するか?そう、4年後の2010年の南アフリカW杯の日本代表は、W杯初体験の選手たちで占められる可能性が高いということ。これはかなり不安である。阿部勇樹松井大輔田中達也大久保嘉人平山相太あたりがゴールデンエイジを脅かす存在になっていて、サブでよいから滑り込みで代表入りして今回のW杯を体験していれば、この経験はきっと4年後に活かされるであったろうに。若手の強化とA代表の強化の方針が乖離してしまったこと、若手とベテランの融合がうまく進まなかったこと、これらは日本サッカー協会の責任が大きいと思う。ジーコの後に代表を任される監督は本当に大変だろうと思う。




とまあ、語りだすとこうやって長くなるからあまりここで書かなかったのかもしれないが、4年に一度の夢見心地の1ヶ月がもうすぐ訪れる。

*1:1998年、出資会社の一つ佐藤工業が本業の経営不振のためチーム運営からの撤退を表明。もう一つの出資会社全日本空輸も、航空業界の競争激化により単独でチームを支える余力がなく、横浜マリノスの親会社日産自動車との協議の結果、横浜マリノスに吸収合併され、事実上消滅することになった。これはサポーターの怒りを買い、合併反対署名運動等が起こったが、合併への動きは覆らなかった。同年開催の天皇杯、負ければその時点でチーム消滅という状況の中、準々決勝でジュビロ磐田、準決勝で鹿島アントラーズを破り決勝まで勝ち進んだ。1999年1月1日の決勝では、清水エスパルスを逆転で破って優勝し、有終の美を飾った。終わってみれば合併発表後、一度も負けることがなかった。天皇杯決勝での横断幕には次のような言葉がつづられていた。「この想いは決して終わりじゃない。なぜなら終わらせないと僕らが決めたから。いろんなところへ行っていろんな夢を見ておいで。そして最後に...君のそばで会おう」
同年、フリューゲルス存続を願うサポーターの熱意により、横浜FCが設立された。(Wikipedia)