僕がコムデギャルソンを着る理由

私のファッションはほぼ全身コムデギャルソンだ。
先日、朝日新聞川久保玲のロングインタービューが掲載されて、それに対する賛辞や異論など様々な意見が渦巻いている。そういう意見を目にしながら、自分がなぜギャルソンを着ているのか改めて考えてみた。よく聞かれもするし。
私が初めてコムデギャルソンに出会ったのは大学1年生のときだ。いまから15年前。同じ建築学科の同級生Eくんと友達になった。彼はギャルソンを着ていて、一緒に熊本パルコにあったコムデギャルソンに買い物に行ったのが最初だった。それまではポールスミスとかアニエスベーとかを身につけていた。ギャルソンの服を見て、高いけどカッコいいなと純粋に思った。もちろん、まだオシャレに目覚めたばかりの当時の私にはコムデギャルソンというブランドが持つ安心感が後押ししたというミーハー的側面も否定できない。でも、背伸びしてたとか無理してたとかはまったく無くて、純粋に気に入っていた。他にも学生だった私にとっては同じくらい高かったヴィヴィアンウェストウッドとかも着たけれど、結局ギャルソンに収斂していった。
あれから15年、今も着ている。学生時代に買った10年以上前のアイテムもある。理由はといえば、今も好きだから。ただそれだけだ。でもそれは溺愛とかではなくて、いま気に入っているものを避けて新しいものにチャレンジするほどでもないという保守的な気持ちが強いからだと思う。そう言う意味では惰性だと思う。反骨とか前衛的と形容されるコムデギャルソンや川久保玲のスピリットとは私はかなりかけ離れた人間だ。本当にオシャレな人は常に新しいもの多様なものを取り入れるのだろうけど、私は自分の好みがどんどん硬直化して多様性を取り入れる包容力がない。だから私は自分のことをオシャレだとは思わない。15年前から白いスニーカーに細身の黒いパンツというスタイルは今も変わっていない。いまどきダサいのかもしれないけど、それが楽だからただ続いている。
あと一度好きになるとなかなか離れられないというのは私の性格のひとつでもあり、ファッションに限らず、職業選択や趣味の選択、その他いろいろな場面において私は同じ傾向がある。コムデギャルソンを着る理由を「着ているとなんだか力が湧いてくる」とか「川久保玲の思想に惹かれて」とか言っている人がいるらしいが、私はそういう信者的な考えは一切無くて、ただずっと着ていて慣れているし、そのデザインが好きなだけ。商業的だと揶揄されるロゴTシャツやPLAYのシャツも良いと思えば抵抗無く着る。ゆえに盲目的に毎シーズン買っているのではなく、例えば先シーズンの秋冬などあまり好みでないシーズンのときは一切買わない。
川久保玲の言説は見はするけど信者ではないので別に絶賛も否定もしない。普通にふーんと思って見るだけだ。年々ファッションに対する関心が薄れているので、学生時代のときのようなワクワク感も少なくなってきたし、川久保さんも年取ってだんだんパワーが落ちてきている気もするけれど、これからも私はほどほどの自分なりのコダワリと、ほどほどのミーハー感覚を内包しながら緩く付き合ってゆくのだと思う。私がコムデギャルソンを着る理由は所詮その程度のものだ。